
ワタシが愛した布たちのふるさとの話。
ラオス北部のボーケオ県、ウドムサイ県、そしてワタシの暮らしていたルアンパバン県。
ラオに暮らしていた頃、織物の村々を訪ねる中で、出会った布たち。
どの村もタイルー族という民族の村。ワタシはルーの人々に不思議な縁がある。
もともとは現在の中国南部、シーサンパンナに400年以上前に暮らしていた山の民だという。
国の共通語であるラオ語を話すが、村の中ではルー語を日常語として、独自の文字を持つ民族。
それでも、確実に現代化の波は山奥の村にもやってきており、ここ数年ではタイのTVが見れ、
携帯の電波がつながるようになった。学業のために若者達は都市部やタイに出て行き、
農業をすることしか出来ない村に戻ってくる若者は少ない。
実際、ワタシのパートナーである彼は12年間をタイで学業と出家で過ごし、
ルー語は話すけれど、もう文字を書くことは出来ない。
現金収入が欲しい村のひとたちは、売る場所(買い手)が無い織物はどんどん止めていく。
綿花を栽培していた畑はとうもろこしやゴムの木畑になり、
また中国やタイ製の安価で鮮やかな発色の科学染料はキレイで先進的だと思い込み、
伝統的な草木染の方法を忘れていく。
もちろん、そんな現状は何年も前から問題になっていて、
たくさんの外国の援助や指導のもと、それを取り戻してきた村たちもたくさんある。
今ワタシがここで紹介している布たちの村というのは、そういった村のひとつ。
もともと織物が盛んで、かつ外国からの支援が入ったことで活性化され
ラオスの中では、ある程度、織りの村として知られている村たち。
手つむぎ手織り、草木染、有機栽培をされたコットン。
海外に紹介されることもあるそのクオリティは高く、
織り手の女性達はプライドを持って自分達の布を作り続けている。
ただ。伝統を取り戻したといっても、外国の支援が終わり、村の人たちだけになったときに
それが継続していくかどうかの方がはるかに重要。
どこに売っていいか分からないものは作れない。作っても売れなければ、生活できない。
今のワタシができることは彼女達の布を少しでも、買い続けていけるようにすること。
そしていいものを世界中のいろんな人に知ってもらうこと。
このブログが少しでもそのきっかけになってくれればいいなと思う。
もうひとつ、ワタシが心に決めている次の目標があるのだけれど、それはまた追々。
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